留袖・色留袖(想い出キモノ館)

富永千恵子さんの想い出

私の母は、明治39年に広島県因島に生まれました。女ばかり四人姉妹の長女だった母は、お婿さんをもらって家を継ぐように育てられたそうです。当時はまだめずらしい女学校を出ていたのも、そのためでしょう。

そんな母の運命を変えたのが、弟の誕生でした。母が二十歳の時のことです。跡継ぎから一転、嫁に出ることになった母ですが、明治39年は、「丙午(ひのえうま)」。今でこそ迷信と笑われますが、当時は、「丙午生まれの女性は、夫を焼き殺す」と、まことしやかに語られておりました。同年生まれの女性の中には、結婚できないことを苦に自殺者まで出ていたほどです。

母も苦労の末、昭和5年に24歳で結婚しました。そんな不憫な生まれ年の母のために、祖母は、とにかく着物を一枚でも多く、少しでも立派な支度をしたいと思ったそうです。そんな祖母が心を砕いて用意した母の婚礼衣装がこの江戸褄です。重ねる着物にも同じ柄が描かれた見事な衣裳。華やかな衣裳から当時の賑やかな結婚式の様子が偲ばれるようです。

父は、外国航路の船員でした。経済的には恵まれていましたが、長期間、夫婦離ればなれの生活で寂しい思いもしたと思います。その上、もともと体の丈夫でなかった母は、私と兄のふたりの子育てにも大変苦労したようです。私が母の実家へ、兄が父の実家へと別れて預けられた時期もあったほどです。明治生まれの母は、口数も少なく、今の母親のように愛情を外に出して表現するようなことは決してありませんでした。

そんな母でしたが、私と兄をふたりとも大学まで進ませてくれました。記憶の中の母は、いつも着物姿。始末を美徳とする典型的な明治の女性です。今思えば、優しい母でした。母の形見となった、この江戸褄が、母の生きた時代を語ってくれているようです。

館長からのメッセージ

お母様のことを「クール」と表現された富永さん。その富永さんも、そのころのお母様の歳を遙かに越え、昔話をクールにお話くださいました。

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