会社の歩み

東京がまだ江戸と呼ばれていた慶応年間、榎戸平兵衛兵が創業した綿布の卸商が武蔵屋のルーツです。その後、養子に迎えた元次郎とともに日本橋大伝馬町で呉服卸商を始めました。

元次郎は、妻の闘病のために大店に成長していた卸商を売却。長男の寛(かん)は、同業呉服卸商に12歳という若さで丁稚奉公に。奉公人時代に関東大震災を経験するなど苦労を重ね、26歳で独立。昭和10年、「武蔵屋」を創業しました。

寛は、独立に際して紹介された女性・はつ代と二人三脚で武蔵屋を切り盛り。そんなふたりに太平洋戦争が暗い影を落としました。寛が出征。そして、東京大空襲で自宅兼店舗も罹災しました。

戦後、多くの日本人がそうであったように寛とはつ代も一から店を建て直します。長野の初代の実家から届けられた二階屋を建てるための材木が、建築中、人足の暖房にも使われてしまい平屋しか建たなかったという逸話が残っています。

寛とはつ代、そして息子たち秀男・彬雄・裕の努力もあり、武蔵屋は住み込みの使用人数人を使うまでに成長しました。

寛は、長男・秀男の結婚とともに経営の一線から身を引きます。秀男と妻の菊代を支えたのが寛の次男・彬雄(よしお)。そして、中学卒業、長野から上京し武蔵屋に勤務していた小宮山勝巳でした。

寛が奉公時代勤めていた呉服卸商が5階建てだったことから、いつかは5階建ての自社ビルをというのが、当時の武蔵屋の夢でもありました。その夢が叶ったのが、昭和55年のこと。オープンの式典で撮られた写真に写る関係者の誇らしい笑顔が、そのときの喜びを物語っています。

昭和56年(1981)に千葉・勝田台店がオープン。その後、店舗は平成14年(2002)に自社物件を取得しリニューアルオープンしました。

秀典
浩雄

平成26年(2014)、昭和53年から社長として会社を率いてきた秀男が喜寿を迎えたことを機に、秀男の長男・秀典が社長に。秀男の弟・彬雄の次男・浩雄が専務にそれぞれ就任。経営の若返りが行われました。

武藏屋 経営理念

きものを通して平和を愛する心をはぐくむ企業になります。
きものを通して豊かな生活を提案する企業になります。
きものを通してお客様と取引先様と社員が幸せになる企業になります。